語学力より誰かを頼る力

トルコに来て約2週間。私は気づいた。

他人に話しかける機会を避けてきた。いや、違う。正しくは他人に助けを求めることを避けてきた。

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他人と話すことは嫌いじゃない。むしろ楽しむ方である。居酒屋で隣の人と仲良くなることはよくある。友達の友達と話すのが好き。困っている外国人が居たら、自分から話しかけて下手くそな英語で頑張る。面接も嫌いじゃ無い。新しい人との出会いは大切にしたいし、自分から積極的に行いたい。

 

でも、自分の知りたい情報を得たい時、自分が何かをして欲しいことを相手に頼みたい時、あまり他人に話しかけることが出来ない性格である。友達でさえも。

基本的に、全部自分1人で解決する。全部ネットで調べちゃう。だって調べれば分かることだし。Googleマップや口コミ、Webサイトにきちんと載っているし。公共施設ではちゃんと案内のサインがあるし。それに1人で外食する機会もあまりない。例えば食事中、水を全部飲み干し店員さんに水を注いでほしいと頼みたい時、まず最初に話しかけるのが面倒くさいと感じてしまう。店員さんが忙しかったら尚更だ。だから諦める選択もよくする。その結果、家で食べる方が楽だと感じちゃう。新しい病院を探す時も、ネット予約が出来る所にする。理由は、電話だと相手が忙しくない時間にかけなきゃと思ってしまうから。その結果面倒臭くなって、病院へ行かなくなる。

 

現在トルコに滞在して、毎日外出している。トルコ人を観察して思った事は、みんなよく店員さんとかバスの運転士さんに話しかける。「これはどこに売っている?」「〇〇行きのバスはどこ?」「この近くにあのカフェある?」とか。終いには、アパレルで目の前に試着室があるのに「試着室どこ?」って聞く人とかいる。もし私が店員だったら、正直「目の前にあるじゃん」って思って少しイラつくかもしれない。実際、私が駅員時代、よく同じような質問をほぼ毎日沢山のお客様からされたので、うんざりしたことがある。心の中で、あの大きな案内看板が見えませんかと。(本当にごめんなさい)でも、あの店員さんにそんな素振りが見えなかったなぁ。

きっと、「聞くのが当たり前」の文化なのだろう。少なくともトルコでは。自分の知らない情報を得る為に、自分からコミュニケーションをしなければいけない。だって、基本全てが情報不足である。本当にね、なんで情報無いの?って思うことがよくある(笑)特に、新鮮でかつ正しい情報は、誰かに聞かないと分からない。自分の知りたいことについてよく知っていると思われる人に聞くのは、ごく自然なことで当たり前。だからこそ、聞かれる側も自然に受け入れられるのであるのかな。

 

 

でも、なんでだろう。

私はこれが出来ない。もしくは、躊躇してしまう。

出来ない理由は2つあると思う。1つ目は「聞くことが、相手の迷惑になっている」という考え。友達でさえもヘルプを求めることが出来ない。そもそも人を頼ることが苦手。悩みがあったら、どうにか自分で解決しようとし、出来なかったら諦める。2つ目は、日本はほぼ全てにおいて「わざわざ人に聞かなくても分かるシステム」になっている。特に住む街が大都市であればあるほど。この文化が、自分の身体にどっぷり染み付いている事に気がついた。

日本ほど、「案内」に力を入れている国はあるのだろうか。正しい情報がいつでも確認できる。多分ないよね。こんな親切な国、どこにも無いよ。今の性格では、日本以外住めない気がするんだが。(笑)

だからこの前、トルコ人の友達が「あなたは1人で旅行している時、どうやってしているの?」の質問の意図がやっと分かった。私のトルコ語は上手くないし、それにタイプではないのに、どうやって旅行しているのか、そりゃあ気になるよね?(笑)

私は、トルコ語の勉強も必須ではあるけど、そもそも他人を頼る機会を増やしていかないと。全て自分だけで解決しない、相手に直接聞く。この機会に慣れないと、正直海外に長期間住むことは厳しいと思った。

 

さて、とりあえず出かけるか。

 

 

こんな風に気楽に生きていきたいよ。笑