去年の12月から、言語交換アプリ「HelloTalk」を使ってトルコ人と繋がり始めた。めっちゃ楽しいけどめっちゃ忙しい。なんせ、中途半端な文法理解と圧倒的に不足している単語力のせいで、毎日必死に勉強することになってしまったからである。勉強すること自体は良いこと。だけどそのおかげで?TOEICの勉強を疎かにしてしまっている。良いことなのか、悪いことなのか。まあトルコ語の学習には英語が多いに役に立っているから、英語に触れているだけマシなのかも...。
そもそもトルコ語をなんで勉強しているのかというと、去年の夏にトルコを訪れて以来、トルコ人と話すのが面白くて、何度もリピートしたいが為に勉強している。もちろん、日本語と文法が似ているのも勉強している理由の1つ。
前述した「HelloTalk」は言語交換アプリとして有名だけど、出会い系目的で利用している人もいる。(本来出会い目的は規約違反)だから全ての人が、真剣に語学を勉強しているわけではない。正直変な人も沢山いるので見極める力は必要です。
ただラッキーなことに、私が出会ってきたトルコ人はみんな親切です。お互いの言語や文化を学ぼうとしているから、理解しようという空気が生まれる。私のベイビーTurkishを訂正してくれるし、私も正しい日本語を教えるために日本語への理解を改めなきゃいけないと思った。最近は、日本語を勉強しているイスタンブール在住の女の子と週1くらいで電話している。当然、電話はチャットより難易度が上がる。特に電話は、声以外の情報がないから、本当に聞き取れない。一応電話しながらチャットもできるんだけど、私はそんな余裕ない。声を聞き取るだけで精一杯(笑)
さっきも1時間くらい電話したけど、彼女はこう言っていた。"Japonlar utangaç olukları için konuşmuyorlar"「日本人は恥ずかしがり屋だから話さない(電話しない)」まじか。日本人のみんな、気持ちは分かる。私もシャイだし、失敗を恐れている側の人間。でも、電話の持つパワーはすごい。ただテキスト読んだり動画を見て学ぶのも良いけど、それ以上に得るものがある。日本にいながら生のトルコ語を聞けるのはすごく貴重な時間なんだよね。実際、電話してからトルコ語の理解力が爆速している。アウトプットが大事すぎる。
毎日どこかに住んでいるトルコ人と繋がっていると、不思議と自分の悪い癖も見えてくる。それは、私が日本人らしすぎるところ。空気を読みすぎるのである。「絵文字が無いと怒っているように見えるかな」「今イスタンブールは夜中だから、返事したら通知で起こしちゃうかな」「既読がつかないのは、間違っているトルコ語ばっかり送りつけているからかな?」...こうやって文字に起こすと、なんて無駄な空気ばかり読んでいるのかと思う。こんな時間使っているなら、単語の1つや2つくらい覚えられるわ。完璧じゃなくていい。間違ったっていい。ありのままでいい。本当に毎日思うことです。
あと、私自身がすごく日本人だなって思うこと。それは、言葉に責任を持つこと。上記ではない人に電話をすっぽかされることが何度かあったり、ラインでやり取りしているトルコ人は私に送信したメッセージを良く削除する。あのーたまにドタキャンしたりするのはいいけど、頻繁にされると?ってなる。昨日電話オッケーって言ったじゃん。その為に深夜1時まで起きていたのに。(日本とイスタンブールは時差が6時間)自分が発言した責任はないのか?と思っちゃう。
あと、今度別で記事に書く予定だけど私は「inshallah」への理解力が乏しい。トルコ語を3ヶ月ほど勉強して正直1番モヤっとくるワード。でも理解ができないのも当然である。この言葉を理解するには、まずイスラム教について理解や関心を寄せる必要があるからだ。焦らずゆっくり自分のペースで、異文化の壁を乗り越えられたらいいなと思う。
異文化体験って面白い。得意だと思っていたけど、実際はかなり難しいです。私は熱意がありすぎて?とあるトルコ人に「あなたのセンテンスからはエナジーを強く感じる」と言われてしまった(笑)字面だけでエナジーを受け取ってもらえるなんて、大変光栄ですよ。っというか、ここで真剣かどうかが分かるよね。一生懸命やりすぎてたまに疲れるけど、トルコ人の友達を作ってからは毎日が楽しいです。異文化を感じるのは自分にとって生き甲斐かもしれない。
※待って、新年一発目の投稿。もう早速「週2の投稿」の目標を破っていますが、最近は開き直っています。書きたいときに書けばいいじゃないかと。
また、チャイ飲みたいな