チャイさえあれば

トルコへ入国して3週間が経とうとしている。先週末から風邪を引いた。日が沈むと途端に寒くなる。でも昼間は日差しが煌々と当たり汗ばむ。湿気はないんだけど、本当に日差しが強い。それと、まだビザの書類手続きを進めておらずこのままだとトルコに長期滞在できなくなってしまう。やること沢山あるのに、家族の雰囲気はのんびりモード。

 

 

近所の人が家に遊びに来た夜8時

海から帰ってきたら、近所に住んでいるお母さんのお友達夫婦がお庭でご飯食べてた。トルコでは近所の人を招いて一緒にご飯を食べたりお茶をするのはよくある。しかし時間が20時。日本の感覚で言ったら、この時間から人の家にお邪魔するのは到底考えられないことだと思うし、100歩譲って家へ行ったとしても、相手のことを思ってし30分くらいでおしゃべりして帰ったりすると思う。しかしこの夫婦は24時まで庭に滞在していたからびっくり。永遠に終わらないチャイの時間。どんだけ飲んでるねんって思いながら見てたら、流石に夫が私に気を遣ってくれて22時くらいで離脱したけどマナー的にいかがなものなのか(^^;; お母さんに聞くと、仲が良いから良いのよ〜って言ってたけどね。

 

 

 

後日小道で発見される

先日夫と街の中心部を歩いていたらでっかい声で夫の名前を呼ぶ人が。振り向くと前述した夫婦の夫さんと遭遇。一瞬おじさんの顔を見てこの人誰だっけと思考停止しながら挨拶した。おじさんの兄弟がジュエリー屋を経営してるらしく、たまたま近くだったので寄ってみることに。前から気になってたお店で、ジュエリーだけどゴリゴリの貴金属店ではなく、アクセサリーやヴィンテージも扱っているお店。

夫からなんとなく空気を察して、可愛いお花のペンダントを選ばせてもらった。

ドイツで技術を学んだアクセサリー作家が作ってるらしいです。お花はドライフラワー。名前言ってたけど忘れちゃった。多分カスミソウだと思う。今滞在している街はこういった可愛らしいアンティーク系やちょっと変わったジュエリーが似合う。ゴリゴリのブランド品は必要ない。

シンプルなシルバーのブレスレットもプレゼントでもらった。
ありがとう。゚(゚´ω`゚)゚。

 

 

その時の気分で決める、なぜなら未来は何が起こるか分からない

これトルコの人というか、イスラム教の考えっぽいので共有。その時になったら決めればいいのがトルコ。行き当たりばったりがトルコ。気分で決めるのがトルコ。

例えば、使った食器は食洗機で洗う。これはトルコの文化。食洗機は毎日稼働はしない。2日から3日おきに稼働する。毎日使う小皿があって、数が5枚くらいしかないからすぐ綺麗な状態のストックがなくなる。それでよくお母さんは料理を作っている最中にこの食器を探す。食器が無いと食洗機から取り出して手で洗ってすぐ使う。

お母さんは毎回使い終わった小皿を食洗機に放り込むけど、それだけ手で洗えばいいじゃんって思う。でも洗おうとしない。私が手で小皿を洗ってると、「手で洗わないで食洗機に入れちゃって」って言ってたので「毎回使うから手で洗っていつでも使えるようにしてるよ」と説明。そしたら「使う時に食洗機から(汚い状態の)お皿を取り出して手で洗うから大丈夫だよ」という。

うーんわかるけど気持ち的に嫌なんだよね。

それだったら、毎回使うの分かってるんだから手で洗っておいて、綺麗な状態を常にストックしておいたら、いちいち洗う手間が省けるでしょ?と思うんだがなんかイマイチな反応。笑

お母さんだけじゃなくお父さんや夫、妹もこんな感じ。本当にしょーーーーーもなくて小さいことなんだけど、こういう事例が山ほど積み重なると流石にイライラします。笑 

正直要領が悪い。でも時間があるんですよね、トルコの人たちは。社会が時間を急かしていないんです。だから効率よく作業するっていう概念がないのかもしれないですね。

それと考えの根底に「未来が訪れるかは誰にも分からない」があります。これはイスラム教の考えで、遠い未来のことだけではなく30分後や1時時間後も未来。その未来よりも今に注目するのが思考の癖としてありますね。

「来るかどうか分からない未来のために、わざわざ小皿を洗って用意しておく必要はないでしょ?」みたいな。

この考えを受け入れられない人は、トルコの人たちと関係を気づくのが難しいと思います(断言)

 

日本語を話すトルコの方と出会う

前からお母さんの親戚の娘さんが日本に留学してたことがあって日本語が話せると聞いてたその方と電話する機会があったので初めて電話した。彼女は日本人のように日本語話せてて私の日本語の方が拙かった。笑 トルコのことと日本の留学生活をおおまかに聞いて10分くらいだったかな。今はインスタでたまにメッセージのやり取りをしている。

トルコに来てまだトルコ在住の日本人の知り合いは愚か、日本に縁があるトルコ人の知り合いがいなかった。日本語を話している時の自分が本当の自分というか、まだトルコ語や英語で自分の気持ちを伝えるのがとてつもなく難しく、無意識に気持ちを押さえつけてしまっているんと気づいた。よくないですよね(⌒-⌒; )どんな言語を選択しても自分という人間は変わらないはずなのに。海外で外国人として生きるのは到底簡単なことではないんだよな。

 

いろいろ思うことはあるけど
結局チャイを飲むと忘れられる。笑
私のマインドはトルコ人に近づいているのかもしれない