自分に父親がいないことを告げると、必ず「両親は死別したのか?」と聞かれる。ほとんどの家で、家族の写真をたくさん見せられる、または発見する。昔の写真を切り取ってマグネットを貼って冷蔵庫の扉に飾ったり写真建てに飾ったり。部屋は写真だらけ。時にはアルバムを見せられる。私が見た写真を残す一家は家族が誰ひとり欠けていない。正直自分の家族は普通ではなく、最近まで両親を毒親だと思って恨んでいた。親戚・いとこも普通の家庭ではなく、正常な家族を知る機会がなかった。これが普通の家族なのかと心が締め付けられるように突きつけられる。トルコのドラマを見てもそう。家族を取り巻く問題をテーマにしたものばっかり。学園ドラマみたいな夢を見させてくれるものはありません。トルコ語を勉強し始めた時、Hello talkという言語交換アプリで何十人の女の子とやり取りをしたけど、少し仲良くなるとすぐに家族の話に移る。「何人家族?」「きょうだいはいるの?」「誰と暮らしているの?」これらの質問はまだ良い方で、次第に深掘りされていく。「休日は家族とどう過ごすの?」「親戚でいつ集まるの?」だとか。うちはコロナ以降全くそういった集まりは無くなったし再開することもない、再開しなくても何も困らない、今どこで何してるのか知らない興味ない。そのうち相手が私に父親がいないことを知ると空気がピリッと変わる。離婚は良くない!いつだって家族団結が幸せ!と私に言われても。(^_^;)私の両親に言って欲しいし、なんなら離婚した親を持つ子供の私がそんなこと1番よく分かってるわ。トルコ語だけではなく、語学を勉強していると、必ず家族愛がテーマに直面すると思う。そんな時自分があたかも日本人代表として日本における家族の在り方を外国人に説明する時間が、とてつもなく辛いです。こんな家族愛を語る資格のない私が話して良いのだろうかって思うので、毎回 ※自分の家族では みたいな注釈をつけてから話しています。だから他の日本人には迷惑を欠けていないと思います。笑 まぁ確かにトルコに行ってから我が国の家族よりも仕事を優先する文化は心底おかしいと思う。でも日本にいたら気付けないです。働いていると自然と仕事が最優先になってしまうもん。数年前から、家族とは何かについての旅に出よう、死ぬまで分からないテーマなのだろうとも思った。でも家族愛を知りたいなら自ら幸せな家庭を作るしかないんですね。トルコでは家族の結束力が強すぎて本当に本当に疲れるけど、今までの人生には無かった頼れる家族が出来ました。今まで友人と表記していた方は夫であり、現在それぞれ日本とイギリスで暮らしています。最初は寂しすぎて帰りの機内や夜中に泣いていたけど(急なメンヘラ告白)、仕事が始まってからは泣く暇がありません。今秋に再びトルコへ渡航し、正式な婚姻の手続きをする予定で移住します。
たびたび友達に「あんた騙されていない?」と言われますが、それは無いです。笑 心配してくれるのはありがたいけど、そのような質問は失礼だよと心の底で思っております。( ̄▽ ̄;)